君のぬくもり。



意識の底で俺は心地よい声を聞いた。


「・・イ。・・・・ロイ。おい、起きろって、ロイ。」
その心地よい声がより鮮明に聞こえだし、俺の意識は覚醒へと近づく。
重たい瞼を微かに持ち上げて、俺は声の主の存在を確かめようとした。
ところが、自分の目がその存在を捕らえるより早く、自分の上に暖かい重みを感じた。
「聞いてんのかぁ?ロイ。」
何度目かのその声で、自分に身体を預けてきた存在が、彼であることを確信する。
「・・・・・・あ、あぁ。おはよう。鋼の。」
自分の腹の上で猫のようにゴロゴロとじゃれるエドを見て、掠れたように呟く。
いつもはこんなに甘えない彼が、今日に限ってどうしたんだろうとい疑問を
何となく喉の奥にしまったまま、俺はエドの髪を優しくすいた。
「何度呼んでも起きないから、少し心配した。今日は随分とお寝坊さんなんだな。
 どうせ、また朝方まで書類に追われてたんだろ?」
無邪気な顔をして、屈託なく笑いかける君は知らない。

君のその笑顔は凶器。

「ああ、書類がキリのいい所までなかなか片付かなくてな。」
ゴロゴロと居心地よさそうに自分の上で笑いかけるエドをまともに見れない。
「・・・?いちお今週分はもう終わってたんじゃなかったのか?」
こっちを真っ直ぐに見つめる視線が痛い。

もう、限界だ。

「まぁ、な。ただ、出来る時に先の分までやっとこうと思ってな。
 ほら、俺は朝食を食いたいんだ。」
なるべく不自然じゃないようにと注意を払いつつ、俺は適当な理由をつけて
彼を自分の身体から引き剥がした。
少し、吃驚した顔をしたように見えたが、何もいわず彼は、
大して気にした風もなく「そうだな。」といった。

半ば無理やりに覚醒させた脳みそは、正直まだぼんやりうす膜を張った状態のまま。
彼の顔を見たさにこすった両目は、いやというほど鮮明で、逆に今の状況では痛々しい。
まるで、自虐的傾向。
これ以上、自分の歯止めを揺るがすようなことはしたくないのに。


ゆっくりとベッドからダイニングまで来て、
何事もない心境を装いつつカップを手に取る。
湯を沸かしながら、俺はインスタントのコーヒーの準備。
ただ、その間も、感覚は彼のいる自分の後ろに集結している。
見えもしないのに、視細胞全てが背中に寄り集まっているようだ。
彼の出す微かな音に、僅かに反応する自分がいるから。


気がつくと、大きな音を立ててヤカンが湯気を出していた。
俺は、それほど長い間、自分で背を向けた相手に気を取られていたのか。
その事実に少しうんざりしながら、俺は用意していたカップにお湯を注ぐ。
注がれる蒸気に混ざってコーヒーのいい香りがする。
何となく、これで少しはこのもやもやした気分を払拭できそうな気分。
熱めに入れたコーヒーに、口をつけて一口含む。
その熱さと苦さに眉を思わず寄せる。
熱さは想像以上としても、砂糖はあえて自分で入れなかった。
と、いってもいつもでさえ、殆ど入れない。
いつも以上に今日のコーヒーが苦く感じるのは自分の心の甘さを痛感しているから。

もう一口すすり、俺は静かにため息を吐いた。
彼は、俺のベッドにうつ伏せになりながら、テレビのチャンネルを変えている。
そして、ニュースを見ながら独り言を繰り返している。
椅子に腰掛けると、見たくないのに見えてしまうその彼の行動が更にコーヒーを苦くさせそうだ。
俺は、テーブルに置きっぱなしにしていた昨日の続きの種類に目を通すことで、気持ちを誤魔化す事にした。
なぜなら、俺が抱えているこの感情は彼にとっては「負」としかならないからだ。
俺は、彼を泣かせることだけは自分が理由であって欲しくない。
もちろん、任務のときはそんなことも言ってられないが。
書類に目を通しては、署名と許可印を押しつつ俺は再度ため息をつく。
そして、次の書類に目を通したときそこには副官のメモが張られてあった。
遠慮がちに書かれたそれは、いつもの彼女らしくないと感じつつも
そこに、俺に対する遠慮と気遣いが込められていることを感じた。
彼女は俺の思いになぜか感ずいた1人で、その上で俺を気遣っていてくれる。
そのことが俺の胸を少しだけ落ち着かせてくれるようで、俺は彼女に感謝した。
そして、何の気なしに顔を上げた俺の視線と彼の視線とが丁度ぶつかった。
かなりの動揺を押し殺し、何もない振りを通す。

「・・・ん?どうした?」
「ん、別になんでもないよ。」
笑顔で答えるエドに何だかずっと見られていた気がしたのは、きっと俺の錯覚だろう。
ただ、そこまで自意識過剰だとは自分でも驚きだ。
「・・・どうか・・。」
そのまま、言葉の続きが思い浮かばずそこで言葉を濁してしまった。
だが、それも気にした風もなく彼はまたテレビの方に向き直った。
ホッとしたようなそうでないような複雑な心境に駆られつつ、俺はまたコーヒーを一口。
ただ、せっかく理性を繋ぎ止めるための手段だった仕事も、
彼の視線が脳裏を巡って、そこから先は何一つ集中できなかった。






思考がエドのことばかりを考え出していて、しばらくしてもそれは自分では止められることが出来なくなっていた。
こんな状態のまま彼のそばにいることは、本当はよくないことだとわかっている。
しかし、この居場所をきっと俺は手放せないだろう。
そして、誰かに奪われるようなときが来たら、俺は一体どうするのだろうか。
上官としての居場所だけで満足するのか。
俺は、自分の欲深い思考に再びうんざりさせられる事になった。
書類に目を通すふりをして、俺は何を考えているんだ。
彼のことしか考えられなくなった思考をどうにかしようと俺は、傍らのカップに手を伸ばす。
しかし、次の瞬間。握ったそれのあまりの冷たさに、俺は吃驚させられた。

確かに、今は真冬である。
熱めに入れたといっても、時間がたてば次第にコーヒーなど冷めてしまうのが普通である。
しかし、いくらなんでもあれほど熱かった液体が、こんなに直ぐ冷めてしまうはずがない。
しかも、室内の温度は俺が目覚めたときには、既に過ごしやすい暖かさに調節されたいた。
・・・・つまり、俺は、見てもいない書類を眺めたままでひたすらエドのことを考えていた訳だ。


「・・・・・・はぁ」
俺は、自然と零れた溜息に全身の倦怠感が高まったように感じた。
もう、自分の気持ちを誤魔化すのもそろそろ限界なのかもしれない。
でも、彼を傷付けたくはない。もちろん、嫌な気分にも。
俺は、彼のそばを離れる覚悟をしなくちゃならないのかもしれないな、と自嘲的に笑った。
なぜなら、彼への思いを断ち切るには俺の全てを懸けても、無理そうだから。
いや、無理だな、完全に。
だめ息を再度吐きながら視線を上げた俺は、一瞬凍りついた。


「・・!!!!!!!!」


机を挟んだ目の前に、よりにもよってエドが笑顔でこちらを見ていたから。
「・・・・ナ、何してるんだ、エド。」
驚きすぎて声が上ずっていることが自分でも分かる。
しかも、言っていることが意味不明だ。
「?何もしてないよ?だってロイが遊んでくれないんだろ?」
もっともな意見を笑顔で言われて、俺は自分の失態に意識を手放しそうだ。
しかも、彼の意識していない、俺に心を許しているその態度が俺にとっては拷問なんだって。




視線の先には、変わらず彼がいる。
目のやり場もなければ、言葉のかけようも今の思考能力じゃ、かけらも思いつかない。
無言になった俺を、エドがずっと見つめている。
まるで、拷問のようなそれに、ますます取り乱す俺。
ただ、今まで培ってきた面の厚さのおかげか、どうやら表情には出ていないらしい。
よかったと安堵するべきか、そこまで自分でさえ言えてしまうことに悲しみを覚えるべきか。

かなり複雑だ。

そうしている間にも、黙りこくってしまった自分をエドが心配そうに見つめている。
エドの視線がちくちくと肌に突き刺さるようで、俺は何とか取り繕う言葉を見つけ意を決した。
俺が、必死の覚悟と努力で繕おうとした言葉は、次の瞬間風とともに崩れ去った。



「ロイは、エドが嫌いなの?」




・・・・・・・撃沈。
どこを押したら、どうしてそういう答えが飛び出すのやら。
俺は軽く身悶えて、机の上に突っ伏した。
かなりの体力消耗と、精神的攻撃の末、俺の意識は極限状態だった。

「・・・どうして、そんなことを思うのかな?」
限りなく普通に、と装った俺の声は、しかし上ずったまま。
「だって、今日ずっと目もあわせてくれないし。」
エドのその真っ直ぐ俺を見つめて、少し悲しそうにする姿に、俺の心拍は急上昇をする。
俺は、こんな顔をさせたいわけじゃない。
ただ、俺の気持ちは彼にとって迷惑にしかならないから。
だから、知られないようにとしていたのに。

俺は、自分を不甲斐なく思った。
迷惑をかけないようにうまく立ち回れない自分を。
しかし、エドを悲しませてしまった自分に対して怒りと情けなさを感じる反面、
エドのかわいい姿を見てしまった自分が暴走を始めていた。
胸が苦しくなり、内側から急き立てる何かが熱い。
必死に隠してきたこころが、飛び出していきそうなぐらいに。
鼓動が高鳴り、体が熱い。


エドの返事も言えぬまま、さらに俺は押し黙ってしまった。
ただ、違うことといえば一度もこちらから合わせようとしなかった視線を
今は他に存在が何もないかのように合わせていることだろうか。
きっと今の俺は切迫した熱を押さえ込んだ目をしているんだろう。
知られてはいけないと決心を硬くしていた俺の心は、もう歯止めが聞かない歯車のようだった。
傷付けたくないのは、今も変わらない本心だが、それでもこの腕に彼を抱きしめたい。
その欲望は、どんどんと膨らんで大きく成長してしまった。
今、押さえが効かないここまで。



答えを返さない俺にエドは何かを感じたのだろう。
微かに歪んだ眉根は、不信感というより悲しさゆえという印象を受けた。
エドを嫌うだなんて、あり得ないことなのに。
なのに、今口を割ったら全てを言ってしまいそうで、俺はまだ何も言えないままでいた。

するとエドは、無言で少し俯いてしまった。
それはまるで、大切なものを失った子供のように。

・・・・・俺は、期待してもいいのだろうか。
彼の、俺へ向けるこの嘘のない信頼を。

自分に向けられている彼の気持ちは、自分と似通った種類のものだと。



「・・・・・・・・。」

俺は、今考える期待は自分の捏造した作り物だと、一呼吸置きながら自分に言い聞かせた。
自分ひとりで浮かれて流されていい問題ではないから。
それが、彼が何よりも大切だと思うなら、なおさら。
俺は、一度自分の心に挫けそうになった気持ちを再度立て直した。
そして、その欲望という名の毒々しささえ感じる感情に重い蓋をした。
中から、抑えられた感情と猛々しく燃える欲望に強烈な威圧感を感じながら。




何事もないという顔をした俺は、心の中で深呼吸とも溜息ともつかない呼吸を吐いた。
そして、いたって冷静な風を装う。


「鋼の?・・・俺が君を、嫌う理由がどこにあるんだい?
何を心配してのことか知らないが、ただの取り越し苦労だよ。」
言葉には余裕を、顔にはこぼれそうな笑顔を、それが今持てる最後の力だから。

俺の言葉に、ゆっくりと顔を上げたエドは瞳を潤ませたまま、涙を必死にこらえていた。
やはり、自分がこんな顔を彼にさせてしまったのだという事実が、痛い。

彼は、少しの間俺を見つめた後、少しほっとしたような顔をして赤くなった目をこすった。
俺の言葉を信じたのか、彼は漸く「うん」と小さく呟いてから可憐に笑った。
今にも抱きしめてしまいたい衝動を抑えて、俺はゆっくり彼から視線をはずした。
もう、これ以上は俺が限界だから。




俺は、ゆっくり席を立って、視線を合わせないようにして彼のそばまで行った。
彼の隣に立つと、彼の吃驚して見上げてきた顔に、わざと視線を合わせるようにして、
ゆっくりと彼の頭をなでた。

自分の心を温もりとして、彼を守りたいという誓いを優しさにして、彼へと届くように。
彼は、ゆっくりと瞳を閉じて安心した顔をして、優しく微笑んだ。
俺は、その彼の表情を確認して、ごく普通を演じながら、ベットまで戻った。
その間、自然に何かの会話を少しだけしたように感じたが、
自分が何を話していたのかは記憶になかった。ただ、彼の声が心地よかった。


ベッドに横たわると、俺はすぐに意識を手放した。
微かに声が聞こえた気がした。
しかも、とても幸せな囁きが。
けれど、俺は、その言葉を聞き取る前に深い眠りへと再び落ちていった。


ただ、心と自分の上にいる存在が暖かかった。そんな気がする。













彼は、自分のベットへと辿り着くと、半ば倒れこむようにして眠ってしまった。
俺は、少しびっくりして、ベットの脇まで様子を見に行ったが、気配に敏感な彼が起きることもなく
それ程に疲れさせてしまった自分に反省を感じた。


今日、俺がここへ来たのは理由があった。
前から何度聞いても焦らされる、ロイの本心を聞きに来たのだ。
俺は、ロイが好きなんだ。
けれど、あの優しいロイが俺のことを同じように必要としてくれてるのかどうか、不安だった。
しかも、何度誘ってもうまくかわされてしまうから・・・・。

けれど、自分が泣いてしまうことまでは予想外だった。
でも、これで俺はロイのことが何よりも大切だって改めて確信した。
目も合わせてくれないロイに涙を流して傷つく自分がいたのだから。
それに、少し無理をしたようなロイの表情に胸が苦しかったから。
もう二度とこんな困らせることはしないと決めたけど、でも、あの優しい手は失いたくないと思った。



椅子まで戻ってきたはいいが、何もすることがない。
時間を持て余すように俺は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、ロイが眠るベッドのそばまで行った。
ロイの傍らにひざをつき、そっと寝ていることを確認した。
そして、俺はロイの髪の毛に手を伸ばし、優しく髪をすいた。
まるで、今日ロイが自分にしてくれたときのように。
そして、俺は小さな声でつぶやいた。

「・・・ロイ。俺、ロイが何よりも大好きだよ。何よりも、何よりも大切。
だから、早く言ってね。そしたら、俺の全部をあげるから・・・。」

自分で言っておいて、自分で恥ずかしくなった。
しかも相手は、静かな寝息を立てている。
ただ、どうしても今言っておきたくなったのだ。
もしからした、今日の償いの意味を持っていたのかもしれない。
それでも、なんと言い訳しても気恥ずかしいセリフを自分が言ったのは事実で。
そう考えると、体の芯が熱くなってくる。

鼓動が、何かを期待して、早鐘のようになり始めている。
俺は、再度ロイが眠っているか確認した後、そっとその頬にキスを落とした。
一瞬のそれは、それでも自分の顔を真っ赤にさせる効果を持っていた。
パタパタと顔を自らであおぎつつ、俺はゆっくりと立ち上がった。
そして、自分でも分かるほど幸せな笑顔でその部屋を後にした。

なぜなら、本当に幸せだったから。
確かな言葉は聞けなかったけど、それでも彼の行動の端々に自分への愛を感じたから。









日も暮れて、部屋に西日が差している頃、俺は漸く目を覚ました。
辺りを見回すと、そこにはエドだけがいなく、後は今朝のまま。
俺は、一瞬焦って思い出そうとした。
しかし、なぜか心が幸せな気分だったから、何とかうまくいったんだと感じた。
ただ、どこか夢のような出来事だった。

「・・・・・夢・・・かもな。」
どこか、自分に都合のいいことばかりを見ていた気がした。
エドが、自分の喜ぶことばかりを口にしていたような気がするし。

俺は、どこからが夢だったのかと考えたが、もしかしたら一度も起きずにずっと夢だったのかもしれない。
俺は、それが一番合点が行くような気がして、そういうことにしておくことにした。
ただ、何となく自分に自信が持てた気がする。
そして、今迄で一番幸せだった気も。

俺は、自分でも分かるほど幸せな笑みをこぼした。
なぜなら、本当に幸せだったから。
確かな言葉は言えなかったけど、それでも彼の視線の奥に自分への愛を感じたから。















いかがだったでしょうか。
今回はというか版権の鋼はお初でした。
何か二人とも甘々だったので、吃驚です(自分でしたんだろう)

というか、話の展開はお互いがすれ違いの中で
小さな幸せを感じる。みたいな。
というか、これだけ甘いなら分かりそうな感じでしょうが。
そこはお互いのことを考える中で気づけない。
恋は盲目(?)ちょっと違うぞ?(笑)
つまり、奥手すぎるんですよ。この話のロイが(笑)
ただ、次の話はかなり攻め気味でいきたい!
強気な感じのロイが書きたいですね(笑)
と、出来るのかどうか。。。。

とにかく、今回の話は奥手な二人が(特にロイ)微かな幸せと
期待を感じつつ。というイメージで。

ではでは。

2006/01/12